偕楽園は誰がいつ作った公園なの? 水戸藩9代藩主 徳川斉昭(とくがわ なりあき)がつくったよ。 徳川斉昭は第15 代将軍 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)のお父さんだよ。 斉昭は藩のたくさんの改革を行いました。 倹約(けんやく)をしてむだをなくしたり、兵士を強くしたり、藩の土地をすべて調べたりしたんだ。 とくに力を注いだのが、藩校(はんこう)弘道館と偕楽園を作ることだったんだ。 「偕楽園」という名前にしたのはなぜ? 斉昭が領内の民とともに楽しむ場にしたいと願ってつくったよ。 偕楽園の字は偕(みんなで)楽(たのしむ)という意味があるんだ。 好文亭も領民の人々とともに楽しむ場としたんだ。 当時の公園は、のんびりとくつろぐためにつくられたから、大騒ぎを禁止していたし、公共の場なので梅の枝や実を取らないことなど決まりがあったんだ。 もちろん今もほかの人の迷惑にならないように気を付けてね! 好文亭の「好文」の意味は? 偕楽園の中の2 階建てのたてもの「好文亭」さてどうして「こうぶんてい」? 古い中国のおはなしからとっているよ。 梅の花が、勉強しないと咲かなくて、勉強をすると咲いたから、梅のことを「好文」と呼んだらしいよ。 斉昭はここから取って「好文亭」という名前を付けたと言われているよ。 偕楽園と弘道館の関係は・・・ 斉昭は「よく学び」「よく遊べ」という考え方を持っていた殿様だったから、真面目に学ぶところと、ゆっくりくつろぐところの二つを大事にしていたんだ。 なので、 弘道館:学問を学んだり武術の練習をすることろ 偕楽園:きれいな景色を見たり体を動かして、弘道館で学んだ疲れをとって休むところ。 という二つの場所を作ったんだ。 偕楽園の歴史をもっと知りたい君は「歴史年表」も見てみてね!