好文亭
「好文」とは梅の異名です。晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事にもとづいて斉昭が名づけました。
KOBUNTEI
「好文」とは梅の異名です。晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事にもとづいて斉昭が名づけました。
昭和20年(1945年)8月2日未明の水戸空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955年)から3年をかけて復元され現在に至っています。
10室からなる質素な平屋作りで藩主婦人などの休養の場でした。城中で出火した場合の備えの場とも言われています。襖絵は昭和20年(1945)の水戸空襲で消失し、復元の際に昭和を代表する二人の日本画家、須田珙中(1908年~1964年)と田中青坪(1903年~1994年)が植物にちなんだ部屋名にあわせて描いており、奥御殿をめぐる楽しみを提供しています。