偕楽園
今昔物語
時の流れを感じてみてはいかがでしょうか。
水戸市鳥瞰図
昭和4年(1929年)頃、当時の水戸市の様子が描かれ、観光ガイドブックのような書でした。
偕楽園は当時常磐公園として記されています。
偕楽園の正門。
門は昔と変わらず、修理を重ねながら、保存・活用されています。
偕楽園記碑にも記されている、「陰と陽の世界」への入口として建てられました。
現在は交通が発展し、東門からの出入りが多くなっていますが、江戸時代にはこの表門が主な入口として使用されていました。
現在4代目の吐玉泉。初代とは形状が異なりますね。周辺は昔から杉や松が伸び奥深く静かで、水の流れる音が響いています。
泉から豊富な水が沸き、現在一日約100トン湧出しています。
好文亭表門と同様に当時のまま保存・活用されている門です。
現在は利用者が安心して園内を歩けるよう園路や柵などの整備が進められましたが、木々が生い茂り、みどりに囲まれた静寂な雰囲気は当時と変わらず残っています。
偕楽園の中心にあり、詩歌や茶席などの催しの場や藩主の別邸(仮住まい)など、様々な用途で使用されていました。
昭和20年(1945年)に水戸空襲で全焼してしまいましたが、昭和30年(1955年)から3年かけて復元され、2代目の建物となっています。
御三階と呼ばれる
斉昭が自ら筆を持ち、偕楽園・弘道館の「
また、公園の利用規則とも言える「
春に13haの園内に咲く梅は、現在約100種類3000本あります。
明治初期頃は、現在の常盤神社境内まで梅林が広がっていたそうです。
毎年梅を楽しめるのも、当時からの丁寧な手入れが継続されてきた証です。
※明治33年以降に絵葉書として発売された古写真を掲載しています。
見晴広場は当時から千波湖を眺めることができる場所で、今も昔もゆったりと風景を感じられます。
千波湖は昭和初期頃までは水戸駅の東側まで広がっており、現在の約4.9 倍も面積があったようです。
古写真でも今より千波湖が大きく見えます。
ぜひ古写真のように座って風景をお楽しみください。
偕楽園本来の姿である、
「陰の世界」と「陽の世界」
それを知ることができるルートをご紹介します。