日本三名園 偕楽園日本三名園 偕楽園

CHRONOLOGY

偕楽園の歴史年表

1833年(天保4年)
4~5月 徳川斉昭、領内巡視の際、七面山の高台に遊園を設けることを決定。
1834年(天保5年)
この頃、斉昭、江戸から多種類の梅実を水戸へ送り、植物係に命じて育成させる。
1836年(天保7年)
「偕楽園記」草案が完成。
1838年(天保9年)
神崎(現在の常磐神社の下)に陶器製陶所を設け、「七面焼」と呼ばれる陶磁器を生産。
1839年(天保10年)
5月 「偕楽園記」完成、斉昭の自書による碑石への彫刻完了。
1841年(天保12年)
4月偕楽園の造園工事着工、好文亭建設開始。8月1日 藩校弘道館開設。
1842年(天保13年)
7月1日 偕楽園開園。 9月25日 養老の会が挙行される。
1862年(文久2年)
この冬、斉昭夫人登美宮吉子(貞芳院)の主催で養老の会が開催される。
1873年(明治6年)
7月30日 太政官布告第16号により公園地に指定され「常磐公園」と称す。茨城県が管理する。
1874年(明治7年)
5月12日 園の一部(1.1ha)に常磐神社を創建。
1890年(明治23年)
10月 昭憲皇太后行啓、その際、御成門を造り、園路を開く。
1892年(明治25年)
水戸市の管理に移る。
1900年(明治33年)
観梅デー始まる。
1902年(明治35年)
大正天皇、皇太子の時、好文亭梅の間にお泊りになられる。
1912年(大正1年)
10月25日 東宮殿下(昭和天皇)学習院生徒として御来園、好文亭前に松をお手植えされる。
1920年(大正9年)
4月1日 再び県の管理となる。
1922年(大正11年)
3月8日 史跡名勝に指定される。(史跡名勝天然記念物保存法)
1932年(昭和7年)
2月11日 「偕楽園」と旧称に復す。
1945年(昭和20年)
8月2日 水戸市内米軍機の空襲を受け、好文亭全焼。
1948年(昭和23年)
4月19日 都市公園となり、「偕楽園公園」と称す。
1955年(昭和30年)
3月26日 好文亭復元工事着工。
1957年(昭和32年)
6月6日 園名を「偕楽園」と改称。(都市公園の設置及び管理条例により創園時の名称に復す)
1958年(昭和33年)
3月31日 好文亭復元工事竣工、偕楽園事務所設置。
1962年(昭和37年)
東門建造。
1963年(昭和38年)
3月 「左近の桜」植樹。(見晴らし広場)
1969年(昭和44年)
9月2日 好文亭に落雷、奥御殿焼失。
1971年(昭和46年)
3月12日 好文亭(奥御殿)復元工事着工。
1972年(昭和47年)
2月14日 好文亭復元工事竣工。
1974年(昭和49年)
10月20日 第29回国民体育大会に際し、天皇皇后両陛下行幸啓。
1992年(平成4年)
2月7日 偕楽園とアメリカロサンゼルス「シャバラム・リージョナル公園」との間で姉妹公園の締結。
1993年(平成5年)
3月27日~5月30日 第10回全国都市緑化いばらきフェア。
4月22日 秋篠宮両殿下好文亭来亭。
1996年(平成8年)
4月12日 公園センター内に偕楽園事務所を移転。
5月14日 公園センター開所式。
1999年(平成11年)
7月1日 千波公園及び園辺の緑地を合わせた呼び名を「偕楽園公園」と称し、300haの公園構想を発表。
2001年(平成13年)
11月12日 「かおり風景100選」(環境省)に認定される。
2004年(平成16年)
2月10日 本園と拡張部を結ぶ梅桜橋(歩道橋)開通。
2005年(平成17年)
4月 偕楽園のお茶会(現:好文亭月釜)が開始。
2006年(平成18年)
2月20日 西連絡通路開通。県立歴史館の庭園に直結。
3月10日 第1回夜・梅・祭(よるうめまつり)開催。
2008年(平成20年)
4月1日 偕楽園事務所が水戸土木事務所に統合され「水戸土木事務所 偕楽園公園課」となる。
2010年(平成22年)
2月20日 本園にライトアップ設備を設置。
2011年(平成23年)
3月11日 東日本大震災により被災。
翌3月12日から4月28日まで初めての閉園。
4月29日より部分開園。
2012年(平成24年)
2月7日 震災で被災した箇所の復旧工事がすべて完了し全面開園。
2014年(平成26年)
2月22日 見晴亭(茨城県観光PRコーナー、案内カウンター、休憩所、展示コーナーほか)を開設。
2015年(平成27年)
4月24日 日本遺産「近世日本の教育遺産群」(文化庁)に認定。
2019年(令和元年)
7月3日 偕楽園・弘道館とフランス エソンヌ県「県営シャマランド園」との間で連携協定を締結。
11月1日 偕楽園本園部 有料化。